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ピーター・ドイグ展(東京国立近代美術館)

レビュー / 美術 / 食べ物

かれこれ10年ほど前からか、Amazon.co.jpでその画集がよくオススメされ(しかし未所有)、その表紙の作品を見てずっと気になっていたイギリス(スコットランド)の画家、ピーター・ドイグ(Peter Doig)の作品展を見に東京国立近代美術館に行ってきた(「ピーター・ドイグ展」)。

本来ならば6月に終了の予定が、新コロナ拡大の影響で10月11日まで延長ということ。ただし基本的には日時予約制になっており、事前にチケットを予約購入する必要がある(しかし「基本的に」と書いたように、それほど混んでおらず、会期末などでなければ駆け込みで当日券を買っても入れるのではと思う)。

初期の作品は、主に彼が少年・青年期を過ごしたカナダの森や郊外の風景と、それを反映する川岸や湖面などの水面を描いた作品(「天の川」1989-90年、「のまれる」1990年、「ブロッター」1993年、「カヌー=湖」1997-98年、「エコー湖」1998年)、左右を対象的に画面を分割した作品(「スキージャケット」1994年)など、大画面を鏡写しのように分割し、その中に人物を点景のように配置している作品が多い。風景や人物などは写真や映画のシーンなど、既成のものを元に描かれているらしく、それを明らさまに示すように人物は平面的に省略され、風景は細かな描写を持つ部分と、抽象画のように大胆な筆致が混ざりあってコントラストを示している。

「のまれる」などは初期のクリムトの森林を描いた作品のなかに、後期のモザイクのような細かい筆致を散りばめたような印象。この作品を確か作品集の表紙画像として見て、ニューペインティングとクリムトを合わせたような作品が多いのかなと思っていたが、実際見てみるとこのような作風よりは、ムンクの作品のような印象を強く受けた(もちろん展覧会図録で書かれているようにゴーギャン、ゴッホ、マティスなどの影響も大きいと思うのだが、それは作風というよりは意識的な引用と感じた。といっても感覚でしかないのだけど…)。

これらのような平面的、鏡面的な画面構成の初期作品の中に、画面の前後の多層性を意識した作品がいくつか混ざっている(「若い豆農家」1991年、「コンクリート・キャビンII」1992年)。いずれも前景には画面を覆うような樹木を配置し、その奥に主題となる後景が配置されている。しかし前景と後景の関係が反転するような仕掛けがされていて、視線が前から奥へ、奥から前へと循環する。初期の作品としては、個人的にはこの多層性を意識したものが面白いと感じた。

そして両方の傾向を折衷したような作品(「ロードハウス」1991年、「ガストホーフ・ツァ・ムルデンタールシュペレ」2000-02年)もある。「ガストホーフ・ツァ・ムルデンタールシュペレ」は今回の展覧会のメインビジュアルにも使用されており、ドイクの代表作といったところなのだろうか(モザイクタイルのようなダムの鮮やかな装飾性と、真ん中に配置されたピエロのようなどこかノスタルジックな人物〈本人らしい〉が幻想的で、いかにも人気がありそう)。

これら初期の作品は多くがカナダで描かれたものだが、イギリスでの画家としての成功ののち、彼はやがてカリブ海のトリニダード・トバゴにも居を構える。そこでは、現地の風景・風俗を主なモチーフとして作品を描いている。しかしながら単に写生として描いているのではなく、初期と同様に既存のイメージを流用・参考として組み合わせており、その結果なのか、ゴーギャンのような南国の風俗画といった趣とは異なり、何か神話的な、時間を超越したような雰囲気を感じさせる作品になっている。平面的な装飾性も初期に比べさらに強く押し出され、マティスの影響も感じる。また初期は絵具を厚く盛り、マチエールが魅力的な画面だったが、この時期は南国ゆえ暑苦しいと思ったのか(んなわけないか?!)、薄塗りの作品が多くなる。

この時期の中でも特別いいなと思ったわけではないが、俳優として有名ながらカリプソの名アルバムも録音してカリプソ好きには知られるロバート・ミッチャムの写真を参考とした作品(「赤い男(カリプソを歌う)」2017年)に、カリブ海の音楽好きとしては、なるほどトリニダード・トバゴ!と心中ニヤリとした。

冒頭に掲げた写真はこの時期のもので(「ラペイルーズの壁」2004年)、風景自体はトリニダード・トバゴの首都ポート・オブ・スペインの墓地の壁の間を通り過ぎる老人を描いたもの。この壁を描く際には小津安二郎「東京物語」の中でも格別印象的な、熱海海岸の堤防もそのイメージの参考となったそうだ。個人的にこの作品が今回の作品展の中で一番印象に残った作品。細かい部分を見るとちょっと変わっているが(左の小さく描かれた煙突の建物のバランスとか、壁面の力強い斑とか)、全体としては衒いの無い感じが気に入った。一緒に行った相方さんもこれが一番いいと言っていた。図録の表4にも配置されていたが、結構人気のある作品なのだろうか。

ちなみに撮影した写真、壁のやや赤みがかった色から、ちゃんと色評価用の光源が使われているのがよく分かる(普通の蛍光灯なら緑っぽくなってしまう)。当然ながら美術館というのは、カラーマネジメントがきちんとしているのですね。

展覧会最後のセクションは、ドイグがトリニダード・トバゴで自主的に開催しているスタジオ・フィルム・クラブという映画上映会のための自作ポスター(左は「東京物語」、右はブレッソン「抵抗」)。「東京物語」は横須賀線からの小田原城の眺めを選ぶか。へー。

3フロアにまたがる常設エリアを階段を降りては見て(黒い木材を敷き詰めた東京国立近代美術館の階段、すごく好きなのだ)、帰りは神保町まで歩く。本当は神田天丼屋(元天丼いもや)に行きたかったが、この日は残念ながら休み。駿河台下のエチオピアで久しぶりにチキンカレーを食べ、腹ごなしに九段下駅まで歩いてから帰宅する。

九段下まで歩く途中、次回訪れる際の確認にと、靖国通りから横丁に入った神田天丼屋のある場所に目をやって驚く。会社員時代に製版フィルムのストリップ修正を頼んでいた製版屋の跡地だった。数年前に畳まれたとは聞いていたが、ここに天丼屋が。いかにも職人といった汗と油の匂いがするような工場の皆さん、大した金額でもないにもかかわらず、毎度丁寧に納品書と領収書を書いてくれたおかみさん、今はどうしているのだろう。

ブックオフ100円コーナーで買える経済入門書 その1

レビュー / / 編集

新型コロナの自粛のあおりで、ご多分にもれず今年は仕事が減っている。まあこんな時だからこそということで、このサイトの整備のように手をつけられなかったことに目を向けている。読書もその一つ。ここ数ヶ月はしばらく興味がなかった経済系の本を立て続けに読んでいる。

経済系といっても儲け話のような本ではなく、ブックオフの新書100円コーナーに置いてある、初歩的な経済や金融の解説書のようなものばかり。3月ぐらいから、目下読了した順番に挙げるとこんなところ。

  • 『金融政策入門』(湯本雅士・岩波新書)
  • 『日本銀行と政治』(上川龍之進・中公新書)
  • 『現代の金融入門【新版】』(池尾和人・ちくま新書)
  • 『日本銀行』(翁邦雄・ちくま新書)
  • 経済学科出身のくせにすっかり経済や金融の知識も頭から抜け落ちており、その空っぽをご披露するのも恥ずかしいところながら、今後どんな様相を見せるのか未だ見えない経済状況の下、興味ある方の参考になればと思い簡単に内容を紹介してみる(価格もお手頃だし)。

    各書で取り上げられた金融政策の成否についての価値判断は、私には全く手に負えないので省いた。以下は内容を概観しつつ、主に本としての構成や記述の特徴について書いている。

    『金融政策入門』(湯本雅士・岩波新書)

    荻窪駅前のブックオフで購入。金融政策について、中央銀行(日本なら日銀)や貨幣の役割から、金融政策に関わる基礎的な経済理論とその歴史的な進展、そして日本を中心とした先進国の金融政策史を紹介しながら、多くの先進国が目下直面する低金利下でのデフレとその対処法についてコンパクトにまとまられている。

    岩波というと左寄りの印象を持つ人もいるだろうが、特別にそんな偏向もなく、直近の日本政府の政策に対しても中立的に評価している。全くの経済初心者(インフレとデフレの違いがわからない、円高円安のような為替の仕組みがわからない、といった方)には難しいかもしれないが、新聞の経済記事が読める程度の人ならば、数式なども少なく、比較的分かりやすい本だと思う。

    日本の事例を中心として金融政策について知りたいと思う人には、最初に手にとってみていい本かなと思う。巻末には簡潔な索引があり、キーワードから遡って読むことができる。同じく巻末の参考文献も初学者にはかなり役立つ。

    『日本銀行と政治』(上川龍之進・中公新書)

    『日本銀行と政治』も確か荻窪駅前のブックオフで、『金融政策入門』と一緒に購入した。書名の通り、日本の中央銀行たる日銀と、ときどきの政治(おもに政府与党)との関係について書かれている。現在では政治とは離れた独立した機関としてある(はずの/べき)日銀が、与党やその中の政治家の意向によっていかに翻弄されてきたのかが良く理解できる。

    著者が政治を専門とすることもあり、経済学・金融理論的な記述は少ない。なので金融を経済学的な理屈をベースに理解したい人には向かない。しかし日本の戦後の政治家と日銀の関係がややジャーナリスティックに書かれているので、読み物的に日本の金融政策史を理解したい人には向いていると思う。

    自民党政権から民主党政権、その後の再びの自公政権の金融政策の連続性(実のところあまり変わっていないということ)など、普段政治系の新聞記事しか読まない人には目に鱗の部分もありそうだ。こちらは索引はないが、巻末に詳細な日本銀行と政治的なトピックについての年表が付属する。

    『現代の金融入門【新版】』(池尾和人・ちくま新書)

    『現代の金融入門【新版】』は『金融政策入門』巻末の参考文献紹介で取り上げられていたので読んでみた。こちらは金融政策のみならず、主な金融商品の紹介から派生商品(デリバティブ)などより高度化した金融商品の仕組みと問題点、そして金融システムの安定化に必要な国家による金融機関への規制・監督や、企業のガバナンスなど、金融全般についての知識が紹介されている。

    2007年のサブプライムローン問題を発端とした金融危機の直後に改訂が行われたため、サブプライムローンという商品や、アメリカの金融機関の仕組みや問題点について詳しく、分かりやすく書かれている。

    前置きなく専門用語が登場し、一瞬あれっ!?と読み返そうと考えてしまうような部分もあるが、ほとんどが読み進めればやがてその説明があるので、辛抱強く読めばそれほど難しい本ではない(一部数式が出てくるので、苦手な人にはヤマかもしれないが、最悪読み飛ばしても全体としては得るものが多いかと)。新聞などでよく目にする金融商品も登場するのも興味を引かれる人もいるのでは。巻末にかなり詳細な索引があり、初学者には読みやすい良書だと思う。

    『日本銀行』(翁邦雄・ちくま新書)

    こちらも『金融政策入門』で紹介があり読んでみた。まずはヨーロッパでの中央銀行制度の成立から始まり、アメリカの連邦準備制度誕生とその後の大恐慌、EU発足後に難渋しつつ誕生した欧州中央銀行成立までの世界的な中央銀行発足とその活動を歴史的にたどる。ついで日本銀行成立を歴史的事件とともに追い、その組織や業務、その金融政策について解説されている。日本の明治以降の経済史に沿って、日本政府と日銀の金融政策の変遷が簡潔にまとめられている。現代の金融政策についても、新聞記事では一言で済まされるような手法が、財務省や日銀内部でどのような流れで決裁が行われているかが具体的に解説されているのも面白い。

    後半は日本のバブル期以降のデフレへの対処法から始まり、アメリカの連邦準備制度理事会(FRB)議長であるグリーンスパンの金融緩和の綱捌きとその功罪、欧州中央銀行の財政健全化を第一とする政策がギリシャなどの金融危機に与えた影響、ポール・クルーグマンのデフレ不況についての分析など、現代的なトピックも多く取り上げられている。書名とは裏腹に日本にとどまらず、先進国に共通するゼロ金利下でのデフレ不況への中央銀行の対応とその難しさについてかなり詳しく書かれている。

    文章も経済学書というよりはエッセイ風の趣が強く、この本も読み物好きには読みやすい本ではないかと思う。ひとつ残念なのは索引がないこと。288ページと最近の新書にしては厚めで読み応えがあり、用語のみならず歴史的な固有名詞も多く登場するので、キーワードで読み返したいと思う向きには不便を感じる。ともあれ内容については、日銀の制度の堅めな記述から最近の経済理論にまで間口も広い構成で楽しめる面白い本だと思う。

    以上、まずはその1として。どれも2010年代に発行された本だが、比較的安価で入手が可能。もちろん新型コロナ感染拡大以降には古さを感じてしまう部分も多いが、なんせ安い!

    近日中に続編を公開します。しかし、これは一体誰が読むんだろうか(笑)。まあいいや。いつか誰かに役立てば。届かない葉書のようなものとして上げておきます。

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    『武田百合子対談集』を読んで

    レビュー / / 編集

    先日武田百合子さんの対談集(『武田百合子対談集』中央公論社)を読了。武田泰淳が亡くなられた直後としばらくしてからのトーンが全然異なる深沢七郎との2つの対談。金井久美子・美恵子姉妹との、友人同士のおしゃべりといった感が強い鼎談。吉行淳之介との若い頃のエピソードも交えた『好色五人女』についての対談。ラジオ番組で『富士日記』について岸田今日子に語ったインタビュー書き起こしなど。

    それほど厚くもない本ですぐに読み終われる内容だけど、『富士日記』発表後、百合子さんが一書き手になっていく姿(あくまで、世の中で、ですが)と周りの状況が、当時を知らぬ自分としてはより具体的に感じられた。

    しかしながらやはり書かれたものが読みたいなーと、以前購入し、時折つまみ読みをしていた『あの頃 単行本未収録エッセイ集』(武田花編、中央公論社)を目下改めて頭から読んでみたり、改めて泰淳さんの作品も読みたいと(きちんと読んだのは『富士』ぐらいか)著作を調べてみたりする。

    そんな折、非常勤講師を務める大学のオンライン授業で目下学生たちが起こした学生同士のインタビュー原稿を添削していることもあり、『あの頃』の中で百合子さんが文章を書く際に気をつけていることをまとめたエッセイが気になる。箇条書きなので引用してみる。

    ○自分に似合わない言葉、分らない言葉は使わないようにしたいと思っている。例「時点」「接点」「原点」「次元」「問題点」「私にとって――とは」「あなたにとって――とは」「――的」「出会い」など。

    ○キライな言葉は使わないでいようと思っている。例「ビューティフルに生きなくては」「ビューティフルな関係」「ビューティフルな生きざま」「ヤングたち」「とんでる女」「とべるでしょうか」などなどの、女性週刊誌やテレビその他で流行はやらせる言葉。流行語がすべてイヤというわけではない。「たたりじゃあ」「よっしゃといきましょう」「頑張らなくっちゃ」などは、ちっともイヤではない。ひとりごとで言っていることだってある。

    ○美しい景色、美しい心、美しい老後など「美しい」という言葉を簡単に使わないようにしたいと思っている。景色が美しいと思ったら、どういう風かくわしく書く。心がどういう風かくわしく書く。くだくだとくわしく書いているうちに、美しいということではなくなってきてしまうことがあるが、それでも、なるたけ、くわしく書く。「美しい」という言葉がキライなのではない。やたらと口走るのは何だか恥ずかしいからだ。

    「絵葉書のように」(『あの頃 単行本未収録エッセイ集』P42-43、武田花編、中央公論社)

    上の多くは、ほとんどの良心がある書き手は気をつけている部分だと思う。

    「美しい」は自分もキライな言葉なのでまず使うことはないけど(だから某政治家のキャッチフレーズとか全く心に響いたことがない)、「素晴らしい」とかは、SNS上に文を書くようになって、音楽や絵などの作品を紹介する際についつい使うようになってしまった。

    流行り言葉については、用例はさすがに時代を感じさせるものの、別の言葉に置き換えれば現代でも納得がいくものであろう。「ちっともイヤではない」方の選ばれ方に感じる通俗性には、ついつい微笑んでしまう。

    そして「くだくだとくわしく書いているうちに、美しいということではなくなってきてしまうことがあるが、それでも、なるたけ、くわしく書く。」はやはり、百合子さんならではなのかなと思う。

    初めて読んだ百合子さんの作品は『犬が星見た ロシア旅行』(中公文庫)だったと思う。冒頭の男性の血の滲んだり剃り残しのある髭剃り跡の描写を思い出す。

    「なるたけ、くわしく書く。」

    見た、見えてしまったものごとが書かれることによって全く別のものになってしまうような瞬間(こんな表現は上の箇条書きに反してしまうのだけど)に出会い、けれど現実を抑圧してしまうようなガチガチの「表現」になることから抜け出てしまうような自由が百合子さんの作品の魅力なんだと思う。

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