青山真治監督「空に住む」を一般試写で見た
レビュー / 映画Twitterを見ていたらアカウントフォローとリツィートで抽選にて試写会に招待ということで、もちろん心待ちにしていた監督の作品だから当たらずとも見に行くつもりがあっけなく招待のダイレクトメッセージが届き、封切り前に一般試写を見ることができた青山真治監督「空に住む」(10/20、渋谷ユーロライブにて)。
両親を交通事故で失った多部未華子演じる小早川直美は、彼女の身を案じる叔父雅博・明日子夫婦(鶴見辰吾と美村里江)の計らいにより、夫婦が投資用に所有する都心のタワーマンションに愛猫ハルと一緒に住むことになる。小出版社での仕事をこなすなか、マンションのエレベーターで出会ったスター俳優・時戸森則(岩田剛典)との恋ともいえぬような逢瀬、会社の後輩木下愛子(岸井ゆきの)の訳ありな妊娠と結婚、そして愛猫ハルの病気…そんな変化の中で直美は…といった感じでストーリーは簡単に要約できるものの、何とも不思議な映画だった。
会話場面が多いが、決して言葉に多くを頼り、その言葉の確かさである種の思想のようなのものの輪郭を伝えようという作品ではない。ひょっとしたら人はいつでも会話の中で間違っていたり、首尾一貫性がなかったり、また相手の言葉を誤解しているのではないか、しかしそういう会話や一緒の時間を過ごす中に何かが含まれていることは確かで、そういう時間を経ることで、時間が進むことで人間は生きているのだなということを、格別肯定もせず否定もせずに伝えようとしている作品だと感じた(ある意味ネット時代のイチゼロのコミュニケーションへの批判にもなっているが、それを格別に強く押す作品でもない)。かといって一つひとつの言葉がふわっとしている訳でもなく、例えば時戸が直美に語った「どんどん僕を利用すればいいんだ」という言葉には、決して皮肉ではない、苦しみを経験した人間だからこその強さも感じるのだった(けどそれが決して重苦しく感じさせられないのが、この映画の不思議なところかなと思った)。
青山作品はかなり多く観ているが、都心の若者の姿を描くという意味では「東京公園」の流れともいえるし、女性の力強さという点では「サッド・ヴァケイション」の流れも汲んでいるといえる(「活弁シネマクラブ」でのインタビューでは監督自身、ドラマ「金魚姫」とのつながりもあると語っているが、残念ながら未見)。個人的には、執拗に鳴り続けるタワーマンションが風を切る音、マンションの窓から広がる空の明るさから「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」のことを思い出しながら見ていた。この映画でとりわけ驚かされたのは、ビル風や動物病院の機器の発するノイズなどの音、そしてマンションに射し込む光の豊かさだった(この照明を担当された松本憲人さんは残念ながら本年亡くなられた。本作品のクレジットにも献辞として生没年が映し出される)。ストーリーやキャストの限りでは娯楽映画であり(なんせ主題歌は三代目 J SOUL BROTHERSだし、けどこれが意外と良いと、初めて思ってしまった…)、その通り娯楽映画として楽しめるのだが、こういう部分で冒険的な試みがかなりさりげなく行なわれている。それはゆったりとしっかりと役者を捉えようとする長回しと細かな刻みの切り返しなど、絶妙なリズムの撮影と編集にも言えるだろう。
多部未華子の演技を映画で見るのは初めてだったが、タワーマンションでのプライベートと古民家におさまる出版社の編集者という二つの演じ分けに加え、劇が進むにつれて力強さを増していく姿に引き込まれた。時戸とのラブシーン前後を始めとして、劇中どんどん変わっていく多部の目や姿(とりわけ露わな背中)からは、撮影や編集もあってか昨年亡くなったアンナ・カリーナのゴダール作品の中での捉えどころのなさを思い出した。永瀬正敏との大切なシーンでの涙、岸井ゆきのの破水シーンのブチ切れ、そしてハルとの…見どころはたくさんある。あと、声に何とも言えない魅力があるなーと思った。若干倍音が多く、決して通る声で話しているわけでもないのに言ってることがしっかり耳に入る声。CMではそんなこと感じたこともないのだが、あれはなんなんだろう。
善とも悪とも真とも嘘ともいえぬような難しい役どころの岩田剛典(時戸が位牌の前で帽子を取るところがすごくいいなーと見ていたのだが、監督自身もそこを見どころに挙げていた)、美村里江、岸井ゆきの、その他脇を固める多くの俳優も素晴らしかった。主要な人物の個性ははっきりしているのに、各々のトーンが浮きもせず作品の中で統一されているというのも不思議だった(月並みながら、セザンヌの絵のような構築感…)。それはキャスティングゆえか、演出ゆえか。そしてハル役の黒猫の名演。
直美が明日子のおせっかいを拒絶するところは、「ユリイカ」で本作品にも登場する斎藤陽一郎をバスから降ろす役所広司を思い出させたが、ラストシーンの美村里江の言葉に、あの役所広司の受け入れることを前提として拒絶する肯定性が、拒絶される側である明日子の方に幾分かユーモラスに転写させられているように見えた(ちなみに「サッド・ヴァケイション」の石田えりにもそういうところがあったが、美村演じる明日子の過剰さと肯定性は、石田の母性のそれとは違う、血のつながりのない個人の孤独から来ているものと思えた)。そういうところ、随所で今までの青山作品を重ねたくもなるものの、明らかに今までとは違うところに来た作品なのかなとも思う。似たものがない傑作。改めて映画館で見よう。そして青山監督自身によるオリジナル脚本長編作品を見られる機会を待ちたいと思う。
