2020年09月28日
レビュー / 本 / 美術
9月、あっという間に半袖短パンの日々から長袖に長尺のズボン、おまけに上着も必要な陽気になってしまった。こちらのブログも短いつもりが随分間を空けてしまった。その間いろいろと本を読み、その中でも格別面白かったのが『現代美術史』 (山本浩貴・中公新書)。
現代美術史の総覧的な本というと、印象派もしくはダダ、マルセル・デュシャンから、戦後の動向はタブロー(絵画)や彫刻・オブジェを中心としていて、それ以外のコンセプチュアルな映像記録や活動による「形のない」美術の動向は大雑把な記述に終わるものが多い(「形のない」美術とは、私個人の言い方で、本書でそのようには書かれていません)。現代美術は媒体(メジウム/材料)や方法が多岐にわたるため、一冊の本で簡潔にまとめるのはなかなか難しいというのも、個人的に以前美術書編集に関わっていたこともありよく理解できる(文字や写真だけで説明するのが難しいというのもある)。
この本は『現代美術史』と銘打っているが(序論的にデュシャン、アーツ・アンド・クラフト、ダダ、民芸、マヴォなども採り上げられるものの)、欧米については戦後のランドアート、コンセプチュアル・アートから始まり、パブリックアート、ブラックマウンテンカレッジやフルクサスなどの美術運動を経て、近年のリレーショナル・アート、ソーシャリー・エンゲージド・アート、コミュニティ・アートといった、「形のない」美術を中心として扱う。抽象表現主義、ポップアート、新表現主義、YBA(Young British Artists)などのタブローやオブジェを中心とした流れはほぼ省かれており、従来の総覧的な解説書とは内容をかなり異にしている。「形のない」美術は、国内でもヨコハマトリエンナーレやあいちトリエンナーレその他の芸術祭などで、海外の作家の作品に直接触れる機会も多いものの、流れとして俯瞰的に把握するのはなかなか難しかったので、この思い切りの良さは逆に素晴らしいなと思った。
そしてこの流れを作品や作家中心に語るのではなく、その時々の美術の潮流に影響を与えた美術や思想・社会学などの研究や著作とともに紹介しているのがまた今までの一般向けの本にはない、大変面白い点。国内の作家作品についてまとめて書かれた美術批評書を手に取る人は多いだろうが、海外のそれにまで手を伸ばす機会はなかなか少なく、(訳書に限られるが)私自身も読んでみたいと思っていたところで、これもまた有難かった。
日本の美術については戦後から始まるものの、「形のない」美術に限定されず、こちらは戦後から東日本大震災の経験をベースとした作品まで、タブローや立体作品なども交えながら紹介されている。日本の戦後の美術活動は、タブローやオブジェを中心とした美術運動が多かったので、本としての欧米との対称性は損なわれるが止むをえないのだろう。ただし東京よりもその周縁地域の美術運動(九州派、具体、万博破壊共闘派など)について重心を置いた記述、その点やはり従来の解説書との違いを感じる。こちらも簡潔に流れがまとめられていて、個別の作家を知ってはいてもその流れを意識して見ていなかったため、改めて頭に入れ直す機会となった。
この本は「芸術と社会」というテーマを設け、それに沿って現代美術の歴史を追っていく、と、「はじめに」の著者の言葉にあり、上のように従来の現代美術の解説書と流れが異なるのは、社会との関係性が強く現れる美術作品を中心に置いているからだろう。上記の欧米と日本の流れの紹介の後、著者が学んだ英国でのブリティッシュ・ブラック・アートにおける人種やジェンダーの扱い、日本とその植民地であった韓国・台湾、そして国内の沖縄やアイヌを国内の作家がどう取り上げているかが書かれる。そして終章では、「芸術と社会」の関係のある意味究極とも言える戦争と美術との関係が、かつてファシズムに美術が与したイタリアの未来派、ドイツのレニ・リーフェンシュタール、日本の藤田嗣治などの戦争画を例として語られる。日本の戦争画については、現代の視点からそれを再考する作家として、会田誠や小沢剛、風間さちこなどの例が挙げられている。この流れ、本書が発行された頃に開催されたあいちトリエンナーレの「表現の不自由展・その後」の騒ぎまで加わっていたらどんな本になっていただろうか。
上述の通り、思い切って中心的な流れを省き、周縁とも言える現代美術の流れを中心として紹介しており、それが海外の近年の著作や研究と併せて紹介されているのは、今までにない解説書として評価できると思う。タブローやオブジェの潮流を知るには他の本を参照する必要があるので、ビギナー向けとは言えないが、芸術祭に足を向けるような美術好きならば、何人かの作家は日本でも作品が紹介されているので読んで損はないだろう。また、本書で取り上げられた研究者の著作もいくつか国内で翻訳、書籍化されているので、ここから広げるブックガイドとしても重宝するのではと思う。
その点、本作りとして残念だったのは、本書には索引がないこと。作家名、評論家や研究者の名前、参考文献や研究のタイトルなどが多出するが、繰り返し参照するための検索性が低いのが大変もったいないと思う。できれば、あいちトリエンナーレや新型コロナ感染拡大後の流れが増補され、その際にぜひ索引も追加されたらと願う。
この記事、本当はブログに掲載するつもりが、ついつい長くなってしまったのでこちらに掲載した。
※外部リンクはサイト維持と取材費捻出のためにアフィリエイトリンクとなっている場合があります。気になる方はコピペで検索して下さい。
2020年08月25日
レビュー / 本 / 編集
先月アップした、ブックオフの新書100円コーナーで買える(買えそうな)経済入門書のレビューの続き。ちなみに先日(8月17日)、2020年の4~6月期の実質国内総生産(GDP)の速報値が27.8%と、戦後最大の減少率となることが発表された。次期は反動で持ち直すだろうという何だか都合のいい予想で締められる報道記事が多かったが、さてどうなのだろうか。
前回同様、各書の内容を概観しつつ、主に本としての構成や記述の特徴について書いていく。
いくつかの、どちらかというと金融政策系の本を読んできて、大体は理解できるものの理論の解釈がこれでよいのかとやや不安になり、経済学そのものの入門書を改めて手に取ってみた。著者の岩田規久男氏は現在日本銀行副総裁(つまり現政権の金融政策を担う一人でもある)で、先に取り上げた『日本銀行』の著者翁邦雄氏と1990年代前半に金融政策論争を起こしたこともあり読んでみた。
前半は商品を交換する市場、そこで生まれる商品価格からはじまって、効用最大化によって商品の価格と需給量が決まるという「ミクロ経済学」の基本的な考え方、そこで掬いきれない現代企業の価格決定や寡占市場の解説がされる。そこから経済学では「市場の失敗」と呼ばれる、市場システムだけでは消費者に不利益を与えるケースに対して一国の政府が介入して解決する方法について、環境問題などを例に続けられる。そして最後に、一国の国民全体の所得や、雇用量、物価などの決定について分析する「マクロ経済学」の基礎的な解説と、マクロ経済学の考え方を採用した一国政府の金融政策についての初歩的な解説で締められる。
簡単な例を使った説明が多く、数式も登場しないため、経済学を学んだことのない人が「経済学」的な考え方を知るにはいい一冊。章立ても、ミクロ経済学から市場の失敗、マクロ経済学から現代の金融政策と、個人や企業などの単位から国(政府)の経済への関わり方へと、難しさを感じることなく理解しやすい並びになっていると思う。ただ、かなり簡単に書かれているので、ある程度学んだ人の復習としては物足りなさを感じるだろう。それを補うための参考書籍の紹介が巻末にある。索引はないが、専門用語が多出する訳でもないので、目次から振り返れば足りるのかもしれない。
市場の自動調整機能に重きを置いた記述が多く、個人的にはその点現在の政権の経済・金融政策に感じるのと同様の違和感を持ってしまうが、著者の立場ということで、現在の代表的な「経済学」の考え方を簡単に知れる本として有用である。この本は確か某フリマサイトで送料込300円で購入。送料込みと考えるとブックオフ100円コーナにもあるのでは…と紹介した。
こちらは荻窪駅前のブックオフで以前紹介した新書と一緒に購入。今まで紹介してきた新書は、どちらかというと「金融政策」を扱ったものばかり。この本は、日本という国が税金として国民から預かるお金をどう集め、どう使うかという「財政」がテーマ。「金融政策」によって、物価や雇用が安定する、それも重要なことだ。しかし実際の国民生活は、景気悪化による不具合が生じても、国が適切に税金を分配していればある程度は救われるのでは?という疑問を持った。そこで、次は財政(国のお金の使い方)について知りたいと思いこの本を読んでみた。
日本が財政危機にあると言われ続けてもはや四半世紀以上が経つ。なぜこのような状況に陥ってしまったのか。本書は高度経済成長にも寄与した減税政策(現金給付)が1970年代まで続けられ、やがて経済成長に陰りが見えた後も、適切な増税と増税手段への転換が図れなかったことに原因を求めている。なぜ増税がうまくいかないかについて、著者はまず国民の「租税抵抗」感の高さを挙げる。「租税抵抗」といってもただケチって払いたくない!という話ではなく、日本の税収の社会福祉などへの再分配が、国民の大多数である中間層にとって「不公平」に見える方法でなされているからだと著者は指摘する。
たとえば、所得が少ない層への生活保護や子持ち家庭への児童手当などが反発を受けるのは、その恩恵に与れない層には不公平に感じられ、そのような手段では他の大多数の国民の理解が得られないという訳だ(世知辛く貧乏臭いとしか云いようがないが、SNSなどを眺めてみればその通りなのだろう)。その不公平感を解決するには、社会福祉などへの振り分けの方法そのものを、できるだけ多くの国民が受益感が持てる「ユニバーサリズムの視点」に立ったものに再設計し直す。例えば上のような生活保護や児童手当ではなく、生存権の保障として国民全員の生活を補う公共サービス(現物給付)を拡充するなど。そして税源そのものについても、不公平感を伴う現在の税制を組み立て直す必要がある、という理念が本書の冒頭では掲げられる。
この理念を起点として、戦後日本の「土建国家」的財政構成(公共投資中心で、社会福祉への振り分けが少ない)の成り立ちがまず検証される。公共投資中心の財政が、地方の産業構成や労働力、地域社会、家庭内の男女の役割にまで影響を及ぼした。その結果として社会福祉への国の分配が小さくて済んでいたという(いわゆる「小さい政府」)。高度経済成長期には、安定した税収もありこのシステムで上手くいった。しかし1980年代以降、経済成長が鈍るとともに税収も減少する。加えて企業経営の変化(資金の内部調達のためのコスト圧縮)と労働者待遇の変化(非正規労働者の増加など)や女性の社会進出などもあり、国による社会福祉への要求が以前に増して高まっていく。公共投資中心の「土建国家」的財政が国民のニーズにはもはや対応しきれず、さらに財源となる税収も減るという危機が始まったのだった。そしてその後の政権が度々打つ政策も、結局はこの「土建国家」と税収減という根本的な問題を解決できず(消費税を増税するだけでは間に合わないのに、所得税など直接税からの増税が先送りされ続けた)、今日までズルズルとやってきてしまったと書かれる(字数上端折ったが、これらは本書の第2、3章で触れられており、個人的にこの本の中でかなり読み応えを感じた部分)。
処方箋として、欧米の財政健全化への試みなどを取り上げつつ、先に書いたように税源と税収の振り分けの再構成、地方自治体との税の振分けの検討、地方自治体での住民の積極的な政治参加の試みなどのグランドデザインが紹介される。個人的にこれらはもっともだと思うものの、結局のところ、1980年代の財界からの直間比率是正の圧力(直接税と間接税の税収バランスを他の先進国並みにする)と、2000年代の税制改革の失敗(消費税率引き上げと共に、最高所得税率引き上げ、相続税課税強化、資本所得課税の軽減の廃止ができなかったこと)が何よりも傷を深くしたと改めて確認し、これらの税収の不均衡に政治家が手をつけられなければ、結局何も進まないのでは?とも思ってしまった(新型コロナの下、経済持続には内需拡大が必須とされる今は、逆に抜本的な変革に絶好なタイミングでもある気がするのだが…)。しかし、今の与党(野党もか!?)や官僚にそれほどの射程の大作業に力を注げる能力があるのだろうか。
本としては、論旨も明快で決して難解なことは書かれてはいないものの、やや論文調の文と展開で、慣れない人には難しく感じてしまうかも。しかし徒に財政危機や積極財政を煽ることもなく(多くの財政危機本はそんなものばかりだ)、事例をパズルのように丁寧に積み上げて日本の財政の問題点を浮き彫りにしており、かなり読み応えがあった。索引は残念ながらなし。
以上、実はもう一冊、『新・世界経済入門』 (西川潤著・岩波新書)という本についても紹介する予定だったが、字数が多くなりすぎてしまったので、また先の機会に紹介したいと思います。またまた、これは一体誰が読むのか(笑)。1回目と同じく、いつか誰かに役立てば。
※外部リンクはサイト維持と取材費捻出のためにアフィリエイトリンクとなっている場合があります。気になる方はコピペで検索して下さい。
2020年07月28日
レビュー / 本 / 編集
新型コロナの自粛のあおりで、ご多分にもれず今年は仕事が減っている。まあこんな時だからこそということで、このサイトの整備のように手をつけられなかったことに目を向けている。読書もその一つ。ここ数ヶ月はしばらく興味がなかった経済系の本を立て続けに読んでいる。
経済系といっても儲け話のような本ではなく、ブックオフの新書100円コーナーに置いてある、初歩的な経済や金融の解説書のようなものばかり。3月ぐらいから、目下読了した順番に挙げるとこんなところ。
経済学科出身のくせにすっかり経済や金融の知識も頭から抜け落ちており、その空っぽをご披露するのも恥ずかしいところながら、今後どんな様相を見せるのか未だ見えない経済状況の下、興味ある方の参考になればと思い簡単に内容を紹介してみる(価格もお手頃だし)。
各書で取り上げられた金融政策の成否についての価値判断は、私には全く手に負えないので省いた。以下は内容を概観しつつ、主に本としての構成や記述の特徴について書いている。
荻窪駅前のブックオフで購入。金融政策について、中央銀行(日本なら日銀)や貨幣の役割から、金融政策に関わる基礎的な経済理論とその歴史的な進展、そして日本を中心とした先進国の金融政策史を紹介しながら、多くの先進国が目下直面する低金利下でのデフレとその対処法についてコンパクトにまとまられている。
岩波というと左寄りの印象を持つ人もいるだろうが、特別にそんな偏向もなく、直近の日本政府の政策に対しても中立的に評価している。全くの経済初心者(インフレとデフレの違いがわからない、円高円安のような為替の仕組みがわからない、といった方)には難しいかもしれないが、新聞の経済記事が読める程度の人ならば、数式なども少なく、比較的分かりやすい本だと思う。
日本の事例を中心として金融政策について知りたいと思う人には、最初に手にとってみていい本かなと思う。巻末には簡潔な索引があり、キーワードから遡って読むことができる。同じく巻末の参考文献も初学者にはかなり役立つ。
『日本銀行と政治』も確か荻窪駅前のブックオフで、『金融政策入門』と一緒に購入した。書名の通り、日本の中央銀行たる日銀と、ときどきの政治(おもに政府与党)との関係について書かれている。現在では政治とは離れた独立した機関としてある(はずの/べき)日銀が、与党やその中の政治家の意向によっていかに翻弄されてきたのかが良く理解できる。
著者が政治を専門とすることもあり、経済学・金融理論的な記述は少ない。なので金融を経済学的な理屈をベースに理解したい人には向かない。しかし日本の戦後の政治家と日銀の関係がややジャーナリスティックに書かれているので、読み物的に日本の金融政策史を理解したい人には向いていると思う。
自民党政権から民主党政権、その後の再びの自公政権の金融政策の連続性(実のところあまり変わっていないということ)など、普段政治系の新聞記事しか読まない人には目に鱗の部分もありそうだ。こちらは索引はないが、巻末に詳細な日本銀行と政治的なトピックについての年表が付属する。
『現代の金融入門【新版】』は『金融政策入門』巻末の参考文献紹介で取り上げられていたので読んでみた。こちらは金融政策のみならず、主な金融商品の紹介から派生商品(デリバティブ)などより高度化した金融商品の仕組みと問題点、そして金融システムの安定化に必要な国家による金融機関への規制・監督や、企業のガバナンスなど、金融全般についての知識が紹介されている。
2007年のサブプライムローン問題を発端とした金融危機の直後に改訂が行われたため、サブプライムローンという商品や、アメリカの金融機関の仕組みや問題点について詳しく、分かりやすく書かれている。
前置きなく専門用語が登場し、一瞬あれっ!?と読み返そうと考えてしまうような部分もあるが、ほとんどが読み進めればやがてその説明があるので、辛抱強く読めばそれほど難しい本ではない(一部数式が出てくるので、苦手な人にはヤマかもしれないが、最悪読み飛ばしても全体としては得るものが多いかと)。新聞などでよく目にする金融商品も登場するのも興味を引かれる人もいるのでは。巻末にかなり詳細な索引があり、初学者には読みやすい良書だと思う。
こちらも『金融政策入門』で紹介があり読んでみた。まずはヨーロッパでの中央銀行制度の成立から始まり、アメリカの連邦準備制度誕生とその後の大恐慌、EU発足後に難渋しつつ誕生した欧州中央銀行成立までの世界的な中央銀行発足とその活動を歴史的にたどる。ついで日本銀行成立を歴史的事件とともに追い、その組織や業務、その金融政策について解説されている。日本の明治以降の経済史に沿って、日本政府と日銀の金融政策の変遷が簡潔にまとめられている。現代の金融政策についても、新聞記事では一言で済まされるような手法が、財務省や日銀内部でどのような流れで決裁が行われているかが具体的に解説されているのも面白い。
後半は日本のバブル期以降のデフレへの対処法から始まり、アメリカの連邦準備制度理事会(FRB)議長であるグリーンスパンの金融緩和の綱捌きとその功罪、欧州中央銀行の財政健全化を第一とする政策がギリシャなどの金融危機に与えた影響、ポール・クルーグマンのデフレ不況についての分析など、現代的なトピックも多く取り上げられている。書名とは裏腹に日本にとどまらず、先進国に共通するゼロ金利下でのデフレ不況への中央銀行の対応とその難しさについてかなり詳しく書かれている。
文章も経済学書というよりはエッセイ風の趣が強く、この本も読み物好きには読みやすい本ではないかと思う。ひとつ残念なのは索引がないこと。288ページと最近の新書にしては厚めで読み応えがあり、用語のみならず歴史的な固有名詞も多く登場するので、キーワードで読み返したいと思う向きには不便を感じる。ともあれ内容については、日銀の制度の堅めな記述から最近の経済理論にまで間口も広い構成で楽しめる面白い本だと思う。
以上、まずはその1として。どれも2010年代に発行された本だが、比較的安価で入手が可能。もちろん新型コロナ感染拡大以降には古さを感じてしまう部分も多いが、なんせ安い!
近日中に続編を公開します。しかし、これは一体誰が読むんだろうか(笑)。まあいいや。いつか誰かに役立てば。届かない葉書のようなものとして上げておきます。
※外部リンクはサイト維持と取材費捻出のためにアフィリエイトリンクとなっている場合があります。気になる方はコピペで検索して下さい。
2020年06月30日
レビュー / 本 / 編集
先日武田百合子さんの対談集(『武田百合子対談集』 中央公論社)を読了。武田泰淳が亡くなられた直後としばらくしてからのトーンが全然異なる深沢七郎との2つの対談。金井久美子・美恵子姉妹との、友人同士のおしゃべりといった感が強い鼎談。吉行淳之介との若い頃のエピソードも交えた『好色五人女』についての対談。ラジオ番組で『富士日記』について岸田今日子に語ったインタビュー書き起こしなど。
それほど厚くもない本ですぐに読み終われる内容だけど、『富士日記』発表後、百合子さんが一書き手になっていく姿(あくまで、世の中で、ですが)と周りの状況が、当時を知らぬ自分としてはより具体的に感じられた。
しかしながらやはり書かれたものが読みたいなーと、以前購入し、時折つまみ読みをしていた『あの頃 単行本未収録エッセイ集』 (武田花編、中央公論社)を目下改めて頭から読んでみたり、改めて泰淳さんの作品も読みたいと(きちんと読んだのは『富士』ぐらいか)著作を調べてみたりする。
そんな折、非常勤講師を務める大学のオンライン授業で目下学生たちが起こした学生同士のインタビュー原稿を添削していることもあり、『あの頃』 の中で百合子さんが文章を書く際に気をつけていることをまとめたエッセイが気になる。箇条書きなので引用してみる。
○自分に似合わない言葉、分らない言葉は使わないようにしたいと思っている。例「時点」「接点」「原点」「次元」「問題点」「私にとって――とは」「あなたにとって――とは」「――的」「出会い」など。
○キライな言葉は使わないでいようと思っている。例「ビューティフルに生きなくては」「ビューティフルな関係」「ビューティフルな生きざま」「ヤングたち」「とんでる女」「とべるでしょうか」などなどの、女性週刊誌やテレビその他で流行( はや ) らせる言葉。流行語がすべてイヤというわけではない。「たたりじゃあ」「よっしゃといきましょう」「頑張らなくっちゃ」などは、ちっともイヤではない。ひとりごとで言っていることだってある。
○美しい景色、美しい心、美しい老後など「美しい」という言葉を簡単に使わないようにしたいと思っている。景色が美しいと思ったら、どういう風かくわしく書く。心がどういう風かくわしく書く。くだくだとくわしく書いているうちに、美しいということではなくなってきてしまうことがあるが、それでも、なるたけ、くわしく書く。「美しい」という言葉がキライなのではない。やたらと口走るのは何だか恥ずかしいからだ。
「絵葉書のように」(『あの頃 単行本未収録エッセイ集』 P42-43、武田花編、中央公論社)
上の多くは、ほとんどの良心がある書き手は気をつけている部分だと思う。
「美しい」は自分もキライな言葉なのでまず使うことはないけど(だから某政治家のキャッチフレーズとか全く心に響いたことがない)、「素晴らしい」とかは、SNS上に文を書くようになって、音楽や絵などの作品を紹介する際についつい使うようになってしまった。
流行り言葉については、用例はさすがに時代を感じさせるものの、別の言葉に置き換えれば現代でも納得がいくものであろう。「ちっともイヤではない」方の選ばれ方に感じる通俗性には、ついつい微笑んでしまう。
そして「くだくだとくわしく書いているうちに、美しいということではなくなってきてしまうことがあるが、それでも、なるたけ、くわしく書く。」はやはり、百合子さんならではなのかなと思う。
初めて読んだ百合子さんの作品は『犬が星見た ロシア旅行』 (中公文庫)だったと思う。冒頭の男性の血の滲んだり剃り残しのある髭剃り跡の描写を思い出す。
「なるたけ、くわしく書く。」
見た、見えてしまったものごとが書かれることによって全く別のものになってしまうような瞬間(こんな表現は上の箇条書きに反してしまうのだけど)に出会い、けれど現実を抑圧してしまうようなガチガチの「表現」になることから抜け出てしまうような自由が百合子さんの作品の魅力なんだと思う。
※外部リンクはサイト維持と取材費捻出のためにアフィリエイトリンクとなっている場合があります。気になる方はコピペで検索して下さい。