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ヨコハマトリエンナーレ(横浜美術館ほか)

レビュー / 美術 / 赴き
ツェイン・シェルパ《54の智慧と慈悲》の一部

10月10日、台風14号が接近する中、会期終了前日にヨコハマトリエンナーレに行った。ランドマークタワーの上部が雲に隠れるほどの悪天候。

ランドマークタワー

今回の主な会場は横浜美術館に加えて、その近くのプロット48、やや距離を置いて日本郵船歴史博物館の3カ所。

まずは横浜美術館。前回はアイ・ウェイウェイのゴムボート作品《安全な通行》が展示された美術館正面にはグレーがかった幕が垂れている。これもオランダのイヴァナ・フランケの《予期せぬ共鳴》という作品。本来ならプリントカーテンが風に揺れることでモワレのように軽やかに姿を変えるはずが、雨に濡れたことでその効果は生まれないのかいかにも雨の日の重苦しさを纏っていた。

横浜美術館正面とイヴァナ・フランケ《予期せぬ共鳴》

新型コロナ感染対策ということで事前に予約が必要で、予約時間である10時の10分ほど前に到着。開場の10時には長い列ができていた。入ってすぐの吹き抜けには出迎えるようにニック・ケイブの作品《回転する森》。華やかに見えながら、ピースマークや拳銃のモチーフなど、目下のアメリカのBLMを象徴するかのようなアイコンがちりばめられている。

検温とQRコードの非接触チェックを済ませて入場すると、主催委員会と今回のアーティスティック・ディレクターであるラクス・メディア・コレクティヴのメッセージとともに、19世紀に自らが考案した望遠鏡により月面を観察した姿を模型化して撮影・出版したジェイムス・ナスミスの写真が並ぶ。このこじんまりと、光とDIYを通してシミュレートされた作品が振り返れば今回の展示の方向性を示していた。

ニック・ケイブ《回転する森》

横浜美術館の中では、竹村京の蛍光シルクを使って日用品を修復した「修復シリーズ」、岩間朝子の父親のスリランカ滞在時の記録を元に作成された映像作品《貝塚》、レボハング・ハンイェのアニメーション《ケ・サレ・テン(今もここにいる)》、インティ・ゲレロの横浜美術館の作品をキュレーションした小展示(その中でもとりわけキャシー・ジェトニル=キジナーの映像作品)、レーヌカ・ラジーヴのドローイングや刺繍によるインスタレーション、ニルバー・ギュレシの女性が家庭やジェンダーなどに縛られる姿を器械体操に重ねて風刺的ながらユーモラスに示した写真連作「知られざるスポーツ」、アリア・ファリドのイランのケシュム島に住む人々の祝祭を記録した映像作品《引き潮のとき》、青野文昭の使い古された家具や浜辺の(とりわけ東日本大震災後の東北の)漂着物を利用した作品連作などがとりわけ印象に残った。長い映像作品のため時間がなくざっとしか見られなかったが、飯山由貴の映像作品《海の観音さまに会いにいく》と2作の精神医療に取材した作品もまた観られる機会があれば是非見てみたいと思った。

青野文昭の作品(作品名を記録するのを忘れた…)

横浜美術館を全て見終えた時点で13時半頃、かなり余裕があるかと思っていたが、台風の雨風で移動に時間が掛かった。結果次の会場のプロット48(元アンパンマンミュージアムらしい、随分と寂れた建物だった)も作品数が多く、思いのほか時間に追われることになってしまった。

プロット48の作品では、アモル・K・パティルの砂鉄を使った(?)グロテスクなオブジェ《人が動物になるとき》、ハイグ・アイヴァジアンのロジンバッグのようなチョーク粉を小さな布袋に入れたものを壁に投げつけた作品《1440 SUNSETS PER 24 HOURS》、ラヒマ・ガンボのかつてボコ・ハラムに襲撃された経験を持つ少女たちが再び学校に通う喜びを記録した映像作品《タツニヤ(物語)》などが印象に残った。こちらの2階の大部分を占めたエレナ・ノックスの《ヴォルカナ・ブレインストーム》内のエビのVR作品に並んでいて、かなり時間を取られてしまった。《ヴォルカナ・ブレインストーム》は、いろんな作家がエビを欲情させるための作品(?)というテーマで小品を寄せていたが、正直なとこあまり乗れなかった…こういうのを現代美術プロパーなファンって素直に楽しめますよね、私はどうもなあという感じ。

最後の日本郵船歴史博物館は地下鉄で二駅の馬車道ということで、閉館時間ギリギリになんとか到着(エビめー!!)。こちらはマリアンヌ・ファーミの《アトラスシリーズ》だけの展示で、樹脂を利用した曲線のオブジェも面白かったが、トリエンナーレとは関係ない博物館の常設展示がかなり面白そうだった。こちらにはまた別の機会に訪れたい。

博物館を出てからは馬車道近くでは行く機会が多い台湾料理屋さんの五味香に残念ながら時間早めで入れず、並びの安い居酒屋さん酒場だるまに入る。メニューによって料理の量がえらい違うお店だった。先の作品の影響でエビの揚げ物を食べた。

レーヌカ・ラジーヴの作品(こちらも作品名不詳…)

今回のヨコハマトリエンナーレ、ディレクターのラクス・メディア・コレクティヴがインド出身ということもあり、今まであまり触れる機会がないインドの作家の作品や(冒頭の写真のツェイン・シェルパ《54の智慧と慈悲》など)、韓国やアフリカの作品にも多く触れられたのも良かった。

昨年訪れたあいちトリエンナーレでは両性の作家を半分ずつというのが目玉だったが、ヨコハマも両性比率はほぼ同じぐらいかなという印象だった(正確に数えてはいませんが)。そういう点ではヨコハマもあいちの成果に続いているのだろうか。あと、新型コロナの状況下だからか、台風の影響か、週末だからか、Go to なんちゃらの恩恵か、20代ぐらいの若い人が多く観に来ているのも印象的だった(あいちはもっと中高年が多かった)。

あいちといえば、あいちの映像インスタレーションは、どちらかといえば昔ながらのドキュメンタリーチックなあまり細かな編集をしない、ワンカメラ回しっぱなしの作品が多い印象だったが(目玉のホー・ツーニェンや藤井光などは別格でしたが)、今回のヨコハマトリエンナーレの映像作品はドキュメンタリータッチながらこまめにドラマ的にカットを割っている作品も多く、こうなるとさて美術と映画との違いはどこに向かっているのだろうとも思った。あいちでは映像インスタレーションについてそこが稚拙で、これなら映画の方が…と感じさせられることもあったのだが。

全体的には最初にもふれたようにこじんまりとした印象の作品が多いものの、昨年のあいちトリエンナーレとのキュレーションの方向性や、会場の違いによる展示の見え方の違いも感じることができ、また新鮮な気持ちで楽しむことができた。しかしながら今回は新型コロナの影響もありかなり集客が少なかったようで、次回がまた開催されるかがやや心配だ(賭場の誘致にご執心な市長さんのようですし)。ひとまず見たいものにはできる限り足を運び続けるしかあるまい。

そして現地でもらった会場マップを見返しながらこの記事を書いたが、雨天や要予約で諦めた作品以外にも見落とした作品がいくつかあることを知る…。思えば第1回目のヨコハマトリエンナーレでも、目玉のマウリツィオ・カテランの作品を見逃したのだった。芸術祭、必ずフロアマップは引き引きで歩くべし!