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ブックオフ100円コーナーで買える経済入門書 その2

レビュー / / 編集

先月アップした、ブックオフの新書100円コーナーで買える(買えそうな)経済入門書のレビューの続き。ちなみに先日(8月17日)、2020年の4~6月期の実質国内総生産(GDP)の速報値が27.8%と、戦後最大の減少率となることが発表された。次期は反動で持ち直すだろうという何だか都合のいい予想で締められる報道記事が多かったが、さてどうなのだろうか。

  • 『経済学を学ぶ』(岩田規久男・ちくま新書)
  • 『日本財政 転換の指針』(井手英策・岩波新書)
  • 前回同様、各書の内容を概観しつつ、主に本としての構成や記述の特徴について書いていく。

    経済学を学ぶ』(岩田規久男・ちくま新書)

    いくつかの、どちらかというと金融政策系の本を読んできて、大体は理解できるものの理論の解釈がこれでよいのかとやや不安になり、経済学そのものの入門書を改めて手に取ってみた。著者の岩田規久男氏は現在日本銀行副総裁(つまり現政権の金融政策を担う一人でもある)で、先に取り上げた『日本銀行』の著者翁邦雄氏と1990年代前半に金融政策論争を起こしたこともあり読んでみた。

    前半は商品を交換する市場、そこで生まれる商品価格からはじまって、効用最大化によって商品の価格と需給量が決まるという「ミクロ経済学」の基本的な考え方、そこで掬いきれない現代企業の価格決定や寡占市場の解説がされる。そこから経済学では「市場の失敗」と呼ばれる、市場システムだけでは消費者に不利益を与えるケースに対して一国の政府が介入して解決する方法について、環境問題などを例に続けられる。そして最後に、一国の国民全体の所得や、雇用量、物価などの決定について分析する「マクロ経済学」の基礎的な解説と、マクロ経済学の考え方を採用した一国政府の金融政策についての初歩的な解説で締められる。

    簡単な例を使った説明が多く、数式も登場しないため、経済学を学んだことのない人が「経済学」的な考え方を知るにはいい一冊。章立ても、ミクロ経済学から市場の失敗、マクロ経済学から現代の金融政策と、個人や企業などの単位から国(政府)の経済への関わり方へと、難しさを感じることなく理解しやすい並びになっていると思う。ただ、かなり簡単に書かれているので、ある程度学んだ人の復習としては物足りなさを感じるだろう。それを補うための参考書籍の紹介が巻末にある。索引はないが、専門用語が多出する訳でもないので、目次から振り返れば足りるのかもしれない。

    市場の自動調整機能に重きを置いた記述が多く、個人的にはその点現在の政権の経済・金融政策に感じるのと同様の違和感を持ってしまうが、著者の立場ということで、現在の代表的な「経済学」の考え方を簡単に知れる本として有用である。この本は確か某フリマサイトで送料込300円で購入。送料込みと考えるとブックオフ100円コーナにもあるのでは…と紹介した。

    『日本財政 転換の指針』(井手英策・岩波新書)

    こちらは荻窪駅前のブックオフで以前紹介した新書と一緒に購入。今まで紹介してきた新書は、どちらかというと「金融政策」を扱ったものばかり。この本は、日本という国が税金として国民から預かるお金をどう集め、どう使うかという「財政」がテーマ。「金融政策」によって、物価や雇用が安定する、それも重要なことだ。しかし実際の国民生活は、景気悪化による不具合が生じても、国が適切に税金を分配していればある程度は救われるのでは?という疑問を持った。そこで、次は財政(国のお金の使い方)について知りたいと思いこの本を読んでみた。

    日本が財政危機にあると言われ続けてもはや四半世紀以上が経つ。なぜこのような状況に陥ってしまったのか。本書は高度経済成長にも寄与した減税政策(現金給付)が1970年代まで続けられ、やがて経済成長に陰りが見えた後も、適切な増税と増税手段への転換が図れなかったことに原因を求めている。なぜ増税がうまくいかないかについて、著者はまず国民の「租税抵抗」感の高さを挙げる。「租税抵抗」といってもただケチって払いたくない!という話ではなく、日本の税収の社会福祉などへの再分配が、国民の大多数である中間層にとって「不公平」に見える方法でなされているからだと著者は指摘する。

    たとえば、所得が少ない層への生活保護や子持ち家庭への児童手当などが反発を受けるのは、その恩恵に与れない層には不公平に感じられ、そのような手段では他の大多数の国民の理解が得られないという訳だ(世知辛く貧乏臭いとしか云いようがないが、SNSなどを眺めてみればその通りなのだろう)。その不公平感を解決するには、社会福祉などへの振り分けの方法そのものを、できるだけ多くの国民が受益感が持てる「ユニバーサリズムの視点」に立ったものに再設計し直す。例えば上のような生活保護や児童手当ではなく、生存権の保障として国民全員の生活を補う公共サービス(現物給付)を拡充するなど。そして税源そのものについても、不公平感を伴う現在の税制を組み立て直す必要がある、という理念が本書の冒頭では掲げられる。

    この理念を起点として、戦後日本の「土建国家」的財政構成(公共投資中心で、社会福祉への振り分けが少ない)の成り立ちがまず検証される。公共投資中心の財政が、地方の産業構成や労働力、地域社会、家庭内の男女の役割にまで影響を及ぼした。その結果として社会福祉への国の分配が小さくて済んでいたという(いわゆる「小さい政府」)。高度経済成長期には、安定した税収もありこのシステムで上手くいった。しかし1980年代以降、経済成長が鈍るとともに税収も減少する。加えて企業経営の変化(資金の内部調達のためのコスト圧縮)と労働者待遇の変化(非正規労働者の増加など)や女性の社会進出などもあり、国による社会福祉への要求が以前に増して高まっていく。公共投資中心の「土建国家」的財政が国民のニーズにはもはや対応しきれず、さらに財源となる税収も減るという危機が始まったのだった。そしてその後の政権が度々打つ政策も、結局はこの「土建国家」と税収減という根本的な問題を解決できず(消費税を増税するだけでは間に合わないのに、所得税など直接税からの増税が先送りされ続けた)、今日までズルズルとやってきてしまったと書かれる(字数上端折ったが、これらは本書の第2、3章で触れられており、個人的にこの本の中でかなり読み応えを感じた部分)。

    処方箋として、欧米の財政健全化への試みなどを取り上げつつ、先に書いたように税源と税収の振り分けの再構成、地方自治体との税の振分けの検討、地方自治体での住民の積極的な政治参加の試みなどのグランドデザインが紹介される。個人的にこれらはもっともだと思うものの、結局のところ、1980年代の財界からの直間比率是正の圧力(直接税と間接税の税収バランスを他の先進国並みにする)と、2000年代の税制改革の失敗(消費税率引き上げと共に、最高所得税率引き上げ、相続税課税強化、資本所得課税の軽減の廃止ができなかったこと)が何よりも傷を深くしたと改めて確認し、これらの税収の不均衡に政治家が手をつけられなければ、結局何も進まないのでは?とも思ってしまった(新型コロナの下、経済持続には内需拡大が必須とされる今は、逆に抜本的な変革に絶好なタイミングでもある気がするのだが…)。しかし、今の与党(野党もか!?)や官僚にそれほどの射程の大作業に力を注げる能力があるのだろうか。

    本としては、論旨も明快で決して難解なことは書かれてはいないものの、やや論文調の文と展開で、慣れない人には難しく感じてしまうかも。しかし徒に財政危機や積極財政を煽ることもなく(多くの財政危機本はそんなものばかりだ)、事例をパズルのように丁寧に積み上げて日本の財政の問題点を浮き彫りにしており、かなり読み応えがあった。索引は残念ながらなし。


    以上、実はもう一冊、『新・世界経済入門』(西川潤著・岩波新書)という本についても紹介する予定だったが、字数が多くなりすぎてしまったので、また先の機会に紹介したいと思います。またまた、これは一体誰が読むのか(笑)。1回目と同じく、いつか誰かに役立てば。

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    ピーター・ドイグ展(東京国立近代美術館)

    レビュー / 美術 / 食べ物

    かれこれ10年ほど前からか、Amazon.co.jpでその画集がよくオススメされ(しかし未所有)、その表紙の作品を見てずっと気になっていたイギリス(スコットランド)の画家、ピーター・ドイグ(Peter Doig)の作品展を見に東京国立近代美術館に行ってきた(「ピーター・ドイグ展」)。

    本来ならば6月に終了の予定が、新コロナ拡大の影響で10月11日まで延長ということ。ただし基本的には日時予約制になっており、事前にチケットを予約購入する必要がある(しかし「基本的に」と書いたように、それほど混んでおらず、会期末などでなければ駆け込みで当日券を買っても入れるのではと思う)。

    初期の作品は、主に彼が少年・青年期を過ごしたカナダの森や郊外の風景と、それを反映する川岸や湖面などの水面を描いた作品(「天の川」1989-90年、「のまれる」1990年、「ブロッター」1993年、「カヌー=湖」1997-98年、「エコー湖」1998年)、左右を対象的に画面を分割した作品(「スキージャケット」1994年)など、大画面を鏡写しのように分割し、その中に人物を点景のように配置している作品が多い。風景や人物などは写真や映画のシーンなど、既成のものを元に描かれているらしく、それを明らさまに示すように人物は平面的に省略され、風景は細かな描写を持つ部分と、抽象画のように大胆な筆致が混ざりあってコントラストを示している。

    「のまれる」などは初期のクリムトの森林を描いた作品のなかに、後期のモザイクのような細かい筆致を散りばめたような印象。この作品を確か作品集の表紙画像として見て、ニューペインティングとクリムトを合わせたような作品が多いのかなと思っていたが、実際見てみるとこのような作風よりは、ムンクの作品のような印象を強く受けた(もちろん展覧会図録で書かれているようにゴーギャン、ゴッホ、マティスなどの影響も大きいと思うのだが、それは作風というよりは意識的な引用と感じた。といっても感覚でしかないのだけど…)。

    これらのような平面的、鏡面的な画面構成の初期作品の中に、画面の前後の多層性を意識した作品がいくつか混ざっている(「若い豆農家」1991年、「コンクリート・キャビンII」1992年)。いずれも前景には画面を覆うような樹木を配置し、その奥に主題となる後景が配置されている。しかし前景と後景の関係が反転するような仕掛けがされていて、視線が前から奥へ、奥から前へと循環する。初期の作品としては、個人的にはこの多層性を意識したものが面白いと感じた。

    そして両方の傾向を折衷したような作品(「ロードハウス」1991年、「ガストホーフ・ツァ・ムルデンタールシュペレ」2000-02年)もある。「ガストホーフ・ツァ・ムルデンタールシュペレ」は今回の展覧会のメインビジュアルにも使用されており、ドイクの代表作といったところなのだろうか(モザイクタイルのようなダムの鮮やかな装飾性と、真ん中に配置されたピエロのようなどこかノスタルジックな人物〈本人らしい〉が幻想的で、いかにも人気がありそう)。

    これら初期の作品は多くがカナダで描かれたものだが、イギリスでの画家としての成功ののち、彼はやがてカリブ海のトリニダード・トバゴにも居を構える。そこでは、現地の風景・風俗を主なモチーフとして作品を描いている。しかしながら単に写生として描いているのではなく、初期と同様に既存のイメージを流用・参考として組み合わせており、その結果なのか、ゴーギャンのような南国の風俗画といった趣とは異なり、何か神話的な、時間を超越したような雰囲気を感じさせる作品になっている。平面的な装飾性も初期に比べさらに強く押し出され、マティスの影響も感じる。また初期は絵具を厚く盛り、マチエールが魅力的な画面だったが、この時期は南国ゆえ暑苦しいと思ったのか(んなわけないか?!)、薄塗りの作品が多くなる。

    この時期の中でも特別いいなと思ったわけではないが、俳優として有名ながらカリプソの名アルバムも録音してカリプソ好きには知られるロバート・ミッチャムの写真を参考とした作品(「赤い男(カリプソを歌う)」2017年)に、カリブ海の音楽好きとしては、なるほどトリニダード・トバゴ!と心中ニヤリとした。

    冒頭に掲げた写真はこの時期のもので(「ラペイルーズの壁」2004年)、風景自体はトリニダード・トバゴの首都ポート・オブ・スペインの墓地の壁の間を通り過ぎる老人を描いたもの。この壁を描く際には小津安二郎「東京物語」の中でも格別印象的な、熱海海岸の堤防もそのイメージの参考となったそうだ。個人的にこの作品が今回の作品展の中で一番印象に残った作品。細かい部分を見るとちょっと変わっているが(左の小さく描かれた煙突の建物のバランスとか、壁面の力強い斑とか)、全体としては衒いの無い感じが気に入った。一緒に行った相方さんもこれが一番いいと言っていた。図録の表4にも配置されていたが、結構人気のある作品なのだろうか。

    ちなみに撮影した写真、壁のやや赤みがかった色から、ちゃんと色評価用の光源が使われているのがよく分かる(普通の蛍光灯なら緑っぽくなってしまう)。当然ながら美術館というのは、カラーマネジメントがきちんとしているのですね。

    展覧会最後のセクションは、ドイグがトリニダード・トバゴで自主的に開催しているスタジオ・フィルム・クラブという映画上映会のための自作ポスター(左は「東京物語」、右はブレッソン「抵抗」)。「東京物語」は横須賀線からの小田原城の眺めを選ぶか。へー。

    3フロアにまたがる常設エリアを階段を降りては見て(黒い木材を敷き詰めた東京国立近代美術館の階段、すごく好きなのだ)、帰りは神保町まで歩く。本当は神田天丼屋(元天丼いもや)に行きたかったが、この日は残念ながら休み。駿河台下のエチオピアで久しぶりにチキンカレーを食べ、腹ごなしに九段下駅まで歩いてから帰宅する。

    九段下まで歩く途中、次回訪れる際の確認にと、靖国通りから横丁に入った神田天丼屋のある場所に目をやって驚く。会社員時代に製版フィルムのストリップ修正を頼んでいた製版屋の跡地だった。数年前に畳まれたとは聞いていたが、ここに天丼屋が。いかにも職人といった汗と油の匂いがするような工場の皆さん、大した金額でもないにもかかわらず、毎度丁寧に納品書と領収書を書いてくれたおかみさん、今はどうしているのだろう。